2020年8月3日月曜日

その後の話【坐禅・瞑想編】

英検1級受験をやめた後どうしているか、という話を書いているが、この話を書いたら終わりにしようと思う。

2019年1月18日から瞑想を始めた(日付まできっちり覚えている)。元々Sapiensの著者のハラリ氏がHomo Deusや21 Lessonsで「瞑想良いよ」みたいな話を書いていたので、「そんなに良いならやってみよう」と思ったのが始まりだ。

それからほぼ毎日休みなく瞑想を続けてすでに1年半経った。瞑想の手法的なモノはその時々で変わっていったが、今は毎朝3時半に起きて線香1本分数息観をしている。私の線香だと横置きの香炉に置いて丸々1本燃え尽きるのに35分かかっていたので、瞑想タイマーアプリで35分にセットしている。1ヶ月ほど1日合計2時間くらいやっていた事があったが、いろいろとヤバいのでそこまではしない事にした。今のところ数息観が一番自分に合っている気がするので、しばらくはこの手法を続けようかと思っている。ただ、時々日中に「ちょっと坐禅するか」と思い立った時は単純に呼吸に集中する方法にしたり、日中にいろいろやる気がない時は横になってマインドワンダリングしてみたりしている。ヴィパッサナー瞑想も気になっているが、自分の環境だとちょっと無理そうに感じている。ちょっとやってみたこともあるのだが、雑音が多すぎて「聞いた」というラベリングばかりになってしまうので。

それで、今の時点で坐禅や瞑想の効果ってどうなのか?ということなのだが、「1年半続けているが結局何にもなってないような気がする」と思い始めている。別に禅僧の決まり文句の「無功徳」を気取りたい訳でもなく、一周回って元どおりになってしまった様に感じている。確かにストレスを感じにくくなったり、ちょっと冴えたように感じないでもないのだが、スピ系とかでよくある「〇〇で幸せになる」「〇〇で幸運を引き寄せる」的な効果は全然ないのではないかと。瞑想を初めて半年くらいまでは、自分があたかも聖人になったかのように感じたし、その後一時的にものすごい幸せみたいなものを感じないでもなかったのだが、今は「ものすごく残念だけど私は私以上にはなれないよ」という思いになっている。

そうであっても毎日のウォーキングと同じような感じで、日課として坐禅と読経は続けている。毎日「すごくない自分」を「すごくない」なりに続けている感じになっている。それが面白いとか面白くないとかもあまり問題じゃないのかも知れない。ちょっとガッカリしつつひとまず生きている。でも時々「もしかしたらすごいかも」と期待して結局「やっぱりすごくなかった…」とガッカリする。

ストレス軽減的な効果は確かにあるのかも知れない。今回のコロナ禍を割と落ち着いて過ごせているのも坐禅の効果と言えなくもない。でも、「決定的な何か」は今のところ掴めていないのだろう。「決定的な何か」が本当に存在するかもわからない。

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