相変わらず、英語が聴けている時と聴けてない時がある。
今朝はBloomberg Balance of Powerの出だしのサマリーだけ見て、Netflixのドラマを見た。ドラマでもNetflixオリジナルのコメディはそれほど難しくなく、完璧でないにしても内容を楽しめるだけのリスニングはできる。という話はした様な気がする。
ウォーキング時にはPcyco-Cyberneticsと言うオーディオブックを聞いている。だいぶ前にCDで買って、3ヶ月前くらいにはまだ聴けていなかったのだが、今現在部屋で落ち着いて聞くと特に集中しなくても聞ける様になってきている。しかし、ウォーキングだと気がそれて時々抜け落ちる感じになるが。
さらに、ラジオくらいなら普通に情報収集手段として聞ける様になった。逆にこうなってくると、「英語のラジオだからって特別ものすごいことを報じているわけでもないのだな」と思い始めてきた(だからと言って日本のマスコミが水準以上かというと全然そんなことないのだが)。手の届く範囲は広がったが、それで何かがつかめるかというと、それは別の問題の様な気がする。
ここまでは「聴けた」という話だが、専門用語や、慣れてない単語が出てくる様なニュースは時々聞き取れなくて「結局これは何を言いたかったのか?」となる時がある。だから、特別知的な事をスラスラ吸収できるわけでもなくて、あくまで日常生活の範囲内で理解できる程度なのだろう。この先もどんなに頑張っても完璧にはならなさそうだ。必要なのは完璧になることではないのはわかっているが、ちょっとがっかりだ。
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