今日も適当に思いつきで書く。
今朝、キクタン英検1級を最初の数ページ見たのだが、「訳語はわからないけど、概念としてなんとなくわかる」単語がいくつかあった。それで、徹底的に洋書の多読をする決意があれば、ひょっとしたら意図的なボキャビルは必要ないのかもしれない、と思った。ただし、一般的な感覚として「こいつおかしいだろ…」と引くレベル、3000万語とかそう言うレベルで多読しないと究極的には身につかないのかもしれない。
あと、多読だけだと解決しない問題がある。日本語にはない英語の発音を脳内で作れないと、総合力としての英語力は多読のみでは作れないのではと。英語学習論的な事は素人だが、これは外せないポイントのように感じる。だから、多聴なりシャドーイングなりはかなり最初の時点で必要になってくるのではと。だが、英語学習初期の人がそれが合理的な考えか検討するのは難しいのが現実だと思う。
話は変わる。
最近和書を読んでいる。それで、「日本語のせいで英語力がダメになるのでは?」と思ったが、実際のところ一定量の英語のインプットをしていればそれほど問題にはならないように思われてきた。むしろ、日本語読書が軌道に乗ってくると、英語のインプットも若干改善したように感じる。私の場合、和書を読むときのスピード感を洋書に持っていく事ができたので、今まで完全にはつかめていなかった英語を速く読む感覚をうまくつかめたような気がする。しかし、これについてはまだ正解はわかっていないので、読んだ人が真似して成功するかはわからないが。
私自身も途上なので、今回書いた事はなんの保証もできない事は書いておく。
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