2016年6月15日水曜日

アニメキャラは日本人だよねえ

今日はあまり書くことがなさそうなので、適当に書く。

昨日も英語のウェブサイトをちょっと見たが、「アニメキャラはなぜ白人として描かれるか?」というぶっ飛んだ記事があった。アニメのキャラは特別外国人として描かれない限り、ほとんど日本人じゃないか?日本が舞台な場合がほとんどじゃないかなあ。実は「アニメキャラはなぜ鼻がないか?」という記事を探してみたのだが、アニメキャラ白人説が先に出てきたのだ。で、白人じゃなくて日本人として描いているのだ、という記事も確かにあった。

日本人の中の日本人像としては特に人種を描き分ける必要がないから、可愛く見える描き方をしたら今のような絵になったのだと思う。江戸時代の浮世絵も肌の色をわざわざ黄色っぽく描いていないし、さらに古墳時代の壁画も記憶の限り黄色っぽく描いていない。アニメキャラの肌の色は、昔からの絵の色を踏襲している気がする。

絵というのは、描く人の心を表したりするから、やっぱり「日本人の中の日本人像が人種的には多様でないから、描き分ける必要がない」というのが正解な気がする。特に人種的に描き分けていない人物が見る人によって白人に見える理由はよく分からない。見る人の世界観にかかってくるのではないだろうか?

ファイナルファンタジーシリーズのキャラクターの白人説は確かにそうだと思う。これは日本人の中でのファンタジー物ではヨーロッパ的でないといけない、ということではないだろうか?で、昔のヨーロッパ世界の住人は主に白人だ、という意識があるので、自然と白人っぽい描写になるのではと。メタルギアソリッドもスネークが日本人でないのは明らかだが、あれはハリウッド映画のようなゲームを作りたいという作り手の都合があったのだと思う。

ドラクエの登場人物はやはり白人っぽく描いている、というか、ドラクエのキャラクターデザインの鳥山明氏はドラゴンボールでは人種イメージの強い描き方をしている気がする。孫悟空という名前が明らかにアジア人(というか西遊記の名前から持ってきているわけだが)がスーパーサイヤ人になると白人っぽい見た目になって(明らかに描き分けている)、それで強くなる、というのはどうかと思う。だが、見た目「すごく強くなりました」という描写をするのは難しい作業だと思うので、締め切りの中このアイデアをひねり出した鳥山氏を責める気はない。私は。

日本人が日本人的な世界観の中で過ごしていると、これといって問題に感じない事も、国外に出るとものすごい問題になってしまうのはよくわかった。だが、日本に住んでいて、知識として知ることはできるだろうが、その感覚は磨けないと思うのだが、どうすればいいのだろうか?

というか、日本人による日本人的感覚の発露がなければ、日本のポップカルチャーは違ったものになると思うのだが、例えば中国あたりが日本のアニメを研究してそっくりな作品を作ったら、日本人的な感覚が表せるのだろうか?

適当に書いていたら長くなったので、もうやめる。

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